吉成建築の歴史②「社長の決断」
吉成建築 営業の安齋です。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
吉成建築の歴史をご紹介したいと思います②です。
、、の前にPart①の振り返りを…
1960年代初期、会長(現社長の父)の代から始まった大工稼業60余年。
半世紀を越え、これからも吉成建築の家づくりの想い・源泉は変わることはありません。
地元の工務店として、オーナー様が困ったときのよりどころでありたい。
オーナー様に寄り添い、オーナー様の家を守る。この大工の古き良き文化を継承していきたい。
そのために吉成建築は100年企業を目指しています。
『縁ある全ての人の幸せづくり』
この理念を土台にこれからも上質で誠実な家づくりをお伝えしていきます。
と、こんな感じでした。
それではPart②では「社長の決断」をテーマにご紹介していきます。
会長の「吉成大工」の屋号で始まった大工稼業。
年月を経て屋号は「吉成建築」に。
その流れの中で現社長 吉成 新一は高校卒業後、会長のもとに弟子入りします。
1989年のこと(のはず)です。
現場を叩き、技を覚え、腕を磨いていくなか、社長の想いは徐々に大きくなっていきます。
変わらないことの大切さを説く会長と
より新しいものを取り入れたい社長。
想いの違いは埋まらず、ついに独立を決断します。
それが2002年2月、会社としての吉成建築のスタートでした。
2004年には、それまで作業場としていた田村町守山の地を離れ、今の所在地である安積町笹川に新事務所を構えます。
創業後も家づくりの想いは変わらず、オーナー様に寄り添い、ご要望を汲み取った様々な家を手掛けてきました。
そんな折に運命の出会いが訪れます。
SW工法(スーパーウォール工法)との出会いです。
当時、高断熱・高気密住宅は今ほど一般的なワードではなかったと思います。
性能を上げるということは必然的にコストも上がるということ。
「お客様がコストの高い提案を受け入れてくれるのだろうか?」
私自身、営業という立場だからこそこの疑問・迷いには正直「恐れ」を感じてしまいます。
それでも当時のSW担当者の熱量、「良い家づくりを広めたい」という思いに心打たれ、吉成建築はSW工法の採用を決断します。
お客様から「とにかく暖かい家をつくってほしい」と言われたこともきっかけだったと聞いています。
そして1棟目のご縁をいただき、2棟目を手掛け、SW工法のオーナー様が増えていくにつれ、ふとあることに気付きます。
新居にお住まいいただいた後のオーナー様のお困りごとが極端に減ったのです。
それまでは例えば、
「今年の夏は暑いね」
「今年の冬は寒いね」とか
「窓の結露はどう対策すればいいかね?」とか
そういった類のご相談ごとや「四季があるから当然」と意識もしないレベルの住環境に関するお困りごとの話がつきものでした。
それがSW工法の家ではオーナー様からご不満の声をいただくことがなくなっていったのです。
反対に、住まいの快適さに喜んでいただくケースが増えていきました。
当時はSW工法の他にも吹付断熱やグラスウールなど、オーナー様のご予算・ご要望に応じて様々な工法で施工していましたが、
「しっかりとコストをかけた良い家づくりの方が喜ばれる」
そう気付いた時に心は決まりました。
「これからはSW工法ひと筋で上質な住まいを伝え広めていく」
1から10までご要望を汲み取ることも大切だが、本質を伝え、ご決断に導くことが家づくりのプロとして求められることであると。
さて、だいぶ長くなってしまったのでPart②はこのあたりで終わりにします。
今回のテーマの「社長の決断」。
独立やSW工法採用の他にも、これまで大小様々な決断がありました。
「吉田ショック」とか。
「壊すならもらう!」とか。
気になった方は是非お会いできた際にお尋ねください。
Part③のテーマは「継承」です。
お楽しみに。
アンザイ